真面目に。
2001年10月13日「論証は魂の外にある言葉に向けられる物ではなく、
魂の内にある言葉に向けられるものだからである。
実際、外にある言葉に対しては、ひとはいつでも異議を唱えうるが、
内にある言葉に対してはいつもそうできるとは限らないのである。」
アリストテレスが言った言葉らしい。
自分の頭の中で行うこの対話は、誰も外側から強制してこないのだから、
自分の思考の決定はどんなに厳しい選択にしても、
自分の自由な考慮の上で行われるもの・・・
他者から迫られないからこそ、自分の頭の中の選択には良心が働く。
で、思考というのは本来的に他者との対話の内面化
らしい・・・
自分の中に思考をおいて登場するもう一人の自己としてのパートナーは、
決して直接に姿を現さない。 何故なら、自分の一部を構成してるから。
自分が行う一つの思考に対して、疑問や反論をしてくれる相手だけど、
一番都合の良い相手でもある・・・
もし鋭い疑問を投げかけたり、倫理的な問い詰めを行っても、
第一の自己はあまりにすごいそれに関しては 思考そのものを
やめてしまうからです。
つまり、主導権はあくまで第一の自己。
と、いう感じの本を読んだ事があるけど、
はぁ、という感じです。
今のアタシが其の者だ、という感じ・・・
駄目娘だと思ってるけど、内のもう一人の自分と相談しても
答えなんて出てこない(T_T)
彼女はいつも 「ど〜にかなるさ!」て・・・
役に立たない。 ホントに全く!!!
取りあえず、まだまだ のぶ君 の事が・・・
ぐへっ。
魂の内にある言葉に向けられるものだからである。
実際、外にある言葉に対しては、ひとはいつでも異議を唱えうるが、
内にある言葉に対してはいつもそうできるとは限らないのである。」
アリストテレスが言った言葉らしい。
自分の頭の中で行うこの対話は、誰も外側から強制してこないのだから、
自分の思考の決定はどんなに厳しい選択にしても、
自分の自由な考慮の上で行われるもの・・・
他者から迫られないからこそ、自分の頭の中の選択には良心が働く。
で、思考というのは本来的に他者との対話の内面化
らしい・・・
自分の中に思考をおいて登場するもう一人の自己としてのパートナーは、
決して直接に姿を現さない。 何故なら、自分の一部を構成してるから。
自分が行う一つの思考に対して、疑問や反論をしてくれる相手だけど、
一番都合の良い相手でもある・・・
もし鋭い疑問を投げかけたり、倫理的な問い詰めを行っても、
第一の自己はあまりにすごいそれに関しては 思考そのものを
やめてしまうからです。
つまり、主導権はあくまで第一の自己。
と、いう感じの本を読んだ事があるけど、
はぁ、という感じです。
今のアタシが其の者だ、という感じ・・・
駄目娘だと思ってるけど、内のもう一人の自分と相談しても
答えなんて出てこない(T_T)
彼女はいつも 「ど〜にかなるさ!」て・・・
役に立たない。 ホントに全く!!!
取りあえず、まだまだ のぶ君 の事が・・・
ぐへっ。
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